人は人生の青写真を決めて生まれてくる その1


 

みなさんは「人生の青写真」って聞いたことがありますか?

 

 

私たちは生まれる前に、どんな環境にどんな親や家族のもとに生まれて、

どんなことを経験して、どんなことを学ぶか

人生の課題や役割や目的を決めて生まれてくる

 

と言われています。

 

 

望まれて生まれてきて、ありのまま愛されて育てられる人もいれば、

崩壊した家庭で苦労して育つ人もいます。

 

 

ありのままに愛されて育てられたいって

ほとんどの人は思いますよね。

 

 

でも、案外、それがベストというわけでもないんですね。

その人の人生の目的にもよるのですね。

 

 

つらい思いをすることも

その人の人生に必要なことなら

そんな思いをさせてくれる人も必要なわけで

生まれる前にそういう役割を引き受けてくれる人と

ちゃんと約束をしてくるのですね。

 

 

本当にそうなのか証明することはできませんが、

私は今までに得た知識や自分の経験から

そう考えるのが一番腑に落ちる感じがします。

その上でお話しますね。

 

 



 

 

私は昨年11月、母親を亡くしましたが、

その葬式の日にちょっとおもしろいことがありました。

 

 

私は三人兄弟の末っ子です。

姉とは10歳、兄とは8歳離れています。

 

 

子どものころからよく言われていたのは

 

「あんたの妊娠がわかった時には

もう子どもはこれで終わり、子育ては済んだ、と思っていたのに

え! またもう一人子ども育てるのっ! 勘弁して!って感じで

どうしようかと迷ったけれども

お父さんと話し合った結果、せっかく授かったんだから産もうということになった。

 

 

お姉ちゃんとお兄ちゃんを産んだ時はなんともなかったけれども

あんたは3800グラムもあったから

産むのが本当に大変で、難産で

産後は髪の毛も随分抜けたし

歯も悪くなったし

体力もがっくり落ちて、大変だった」

 

という話でした。

 

 

小さい時は、母の言う「あんたができて、どうしようか迷った」というのが

どういう意味なのかよくはわからなかったけれども

 

私はあんまり望まれていなかった、というさみしい気持ちと

私が母親を苦しめてしまった、私は悪い子なんだ、という罪悪感を持っていました。

 

 

 

中学生位になってからは

「どうしようか迷った」という意味が

私を産まない選択肢もあったんだということに気づいて

 

 

「私だったら、たとえそれが本当だったにしても

自分の子どもにわざわざそんな傷つけるようなことを言ったりはしない!

上の二人と離れて生まれてきたこととか、

3800グラムあったことを私のせいにされても

そんなこと責任取れんわーーーーー!」

 

 

と、随分憤慨したこともあり、反抗期でもあり、

また、私のセクシャリティを否定されたり

ことあるごとに姉兄と比較されたりして

母親に並々ならぬ反抗心を持っていました。

 


 

30歳前後からいろいろなセラピーを受けて自分を癒すことができ

また私自身も成長して、母とはうまくやれるようになっていましたし

そのことをもう何とも思わなくなっていました。

 

 

ですが

母の葬儀後の会食で新事実が発覚したんですね。

 

 

兄を産んでから私が生まれる間に、母は2人子どもを流産していた!

というのです。

 

 

全然、知りませんでした!

姉と兄は知っていたらしいけど、私はまったく知りませんでした。

 

 

つまり私は、

「3人目の子どもが欲しくて欲しくて

待ち焦がれて

やっと授かった待望の第3子だった!!」

ということがわかったんですね。

 

 

姉と兄は

「あんた今ごろ何言ってんの!?そんなことも知らんの!」みたいに

当然のように話しているんですけど

私だけ知らなかったんですね。

 

 

「そうならそうと、なんで言わなかったんだろう・・・?」

「生きているうちにそう言ったら良かったのに・・・」

「あんたができた時はほんとにうれしかったよって、一度、聞きたかったなあ」

 

 

考えていて

ふと思いました。

 

 

もし、私が、望まれて生まれて、自分を否定されることもなく

ありのままを受け容れられて育っていたら

罪悪感を持つことがどんなことなのか

自己否定に陥って抜け出せなくなるとどんな気持ちになるのか

いろいろな感情を体験することができなかっただろうな。

 

 

そういう経験があったからこそ、

セラピーを受けたり勉強したり

整体やコーチングを勉強したり

迷ったり困ったり、それを打開したり、

また迷って、また再チャレンジしたりしてきたわけです。

 

 

母がそういう言動を重ねて

私に魂を磨く磨き粉をいっぱい付けてくれたからこそ

今の私があるわけです。

 

 

母は私の人生において

知ってか知らずか

(というか、魂レベルでは知っていたのでしょうが)

私を愛しながらも否定して、私を成長させて

人生の目的を果たさせるという役割を

きちんと果たしてくれたわけです。

 


 

そう言えば、母は亡くなる直前の何か月か

事実でない話を本当の話のように繰り返すことがありました。

 

 

特に「子どもを他にもたくさん産んだ」という一連の話がお気に入りでした。

 

 

「里子に出していた男の子が立派に成人して、

きちんと挨拶に来てくれて本当にうれしかった」

 

 

「あんたの前に双子の女の子を産んだけれども、

一歳になる前に二人とも亡くなって悲しかった」

 

 

というオーソドックスなところだけでなく

 

 

「身体が一つで頭が二つある子どもが生まれて、

うまく育たなくて亡くなった。

かわいそうなことをした・・・」

と、しみじみ語ることまでありました。

 

 

「それってシャム双生児のことですか??」

って話で

もし本当なら母は世界中のマスコミや研究者から取材攻めにあって

百科事典に載る位の有名人になったはずですが・・・

 

 

基本的にとても情の深い人だったので

今にして思えば

流産した子どものことを忘れられなくて

そのことには触れたくなかったのかもしれません。

 

 

母の心中、ほんとのところはわかりませんが

自分でもはっきりそうとは意識せずに

私が必要な経験をできるように

きちんと役割を果たしてくれていたんだろうなと

この時はとても納得しました。

 

 

「あれ、私なんでこんなこと言ってるんやろう」

「あの子と話していると、どうもけっこうひどい態度で

あんなこと話してしまうのよね・・・」

なんて思いながら話していたのかもしれません。

 

 

それを知ったのが、まさに母の葬儀の日だったということが

何か象徴的なメッセージだった気がします。

 

 

「あんなこと言ってたけど

本当は待望の子どもだったんだよー。

今、種明かしするよー

あんたはもうそんなこと気にしてなかったのは

わかってるけどねー

じゃ、またねー」

 

って母が笑って言っている気がしました。

 

 


 

人生は

命を与えられている間

一見楽しいことも苦しいことも経験する貴重な時間

 

そして出逢う人々はそれを体験させてくれる大切な仲間。

今の私は、そう思っています。

 

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