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コロナウィルス騒動は新時代の幕開けかも~友人の「無観客展覧会」に思うこと~

 

 

友人で現代美術家の篠崎裕子さんが、ミラノで展覧会を開催中です。

 

その展覧会が、コロナウィルスのため

 

「無観客展覧会」

 

なんだそうです。

 

 

 

最初に聞いた時は「うーん」と、考え込んでしまいました。

 

 

野球やサッカーが「無観客試合」と聞いても別に驚きませんけれど。。。

 

 

無観客でも、試合の結果や選手の記録は残るわけで

盛り上がりには欠けるだろうけれど

試合がおこなわれる意味は

三次元的な思考で理解できます。

 

 

でも展覧会は、文字どおり

見てもらうために開くものです。

 

 

もちろんWebでの発信もしていますけど

「見に来る人がいない展覧会」の意味って何だろう?

 


 

私が思うこと。

  

 

彼女がエネルギーを捧げた作品たちは

遠くイタリアまで旅をして

今、自分がいるべき場所で 

そのエネルギーを放っているわけです。

 

 

「作品達も自覚しているらしく

(web上で)画像を通してでも何かを伝えようとしているみたい」

とは彼女自身の弁です。

 

 

観劇や展覧会も

映像や本などの媒体を通すのでなく

やっぱり生で、ライブで見るのが一番!

ってことはよく言われるし

私も実感してきました。

 

 

テレビを通して見る芝居と

劇場で生で見る芝居とは

迫力も伝えられる物も、やはり全然違います。

 

 

でも

これからは

そんな今までの常識や観念をはるかに超えたところで

 

五感も超えたところで

 

たとえ

直接、見たり聞いたり触ったりできなくても

 

そこにあるものが

ただそこにあるだけで

発しているエネルギーを

人々も当たり前のようにキャッチするような時代に

なっていくんじゃないのかな。

 

 

「あなた、作品作ったのねー

どれどれ」

ってそこに意識を持っていくと

 

時空を超えて

その作品の発するものを即座にピピっと感知できるような時代に。

 

 

今でもそんな人はいますけれど

それが普通の時代になっていくんじゃないかな。

 

 

そう遠くない未来の人は

 

「えー、昔の人は

直接見たり聞いたり触ったりしないと

体験できないなんて思ってたんやー。

 

うわあああ

なんて不自由な時代やったんやろねー」

 

なんて言ってるかもしれません。

 

 

 

今の私たちが

 

「大阪から東京まで行くのに

歩いて行くとか、籠に乗るとかしないとダメやったんや。

そりゃあ、不便やったやろなあ」

 

と思うように。

 

 

今、ミラノで開かれている「無観客展覧会」は

そんな時代の、さきがけのような気がします。

 

 

今起きているいろいろな

一見「お困りごと」の数々は

新しい時代に向けてのステップなんじゃないかな

とも思います。

 

人間の目では

先を見通すことはできないけれども

  

いろいろな出来事がどういう経緯で

お互いに働きかけあって

どんな結果になるのか

わからないけれど

  

このコロナウィルス騒動は

予想もしないような

たくさんの実りをもたらしてくれるんじゃないかな。

そうだといいな。

 

そんなふうに思っています。

 

 

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