マイ・ストーリー


ドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』の冒頭に

こんな文章があります。

 

私は、自分のなかからひとりでにほとばしり出ようとするものだけを

生きようとしてみたにすぎない。

どうしてそれが、こんなにむずかしかったのだろう。

 

 

まさにこれは私の実感です。

自分自身を生きることを切望しながら

自己否定を繰り返してしまい

どうやって自分を肯定して、日々幸せを感じることができるようになったか。。。

 

長くなりますが

良かったら読んでみてください。




子どもの頃からの切実な願い

  

もの心ついたころから願っていたこと。

 

押し付けられたものでなく

自分の内側から湧いて出てくる純粋な情熱に従って生きたい、

魂の深いところから出てくる自分を自由に表現して生きたい。。。

 

それが私の人生の一番のテーマでした。

 

私は三人兄弟の末っ子です。

 

 

男尊女卑の考え方が強い

いわゆる「封建的」な家庭でした。

姉とは10歳、兄とは8歳離れていました。

 

親が4人いるような状態で

かわいがられてはいたけれど

常に自分より力のある4人に監視されているような息苦しさも感じていました。

 

そういうこともあり、

自由に自分を表現していきることへの渇望が

より大きくなったように思います。

 



離婚、そしてボディサイコセラピーとの出逢い

 

キャリアウーマンとして、企業社会で出世していきたいとか

お金持ちになりたいという欲求はなく

「人がその人本来の自分を表現することをサポートすること」が

最も素晴らしい仕事だと思っていました。

 

そのためには

できるだけ小さいころからそのように育てることが一番と考え

幼稚園に就職しました。

 

その後、結婚しましたが、3年足らずで離婚。

 

28歳の時に出逢ったのが

ウィルヘルム・ライヒという人が始めた

バイオシンセシスというボディサイコセラピーでした。

 

そしてその先生は

いわゆるチャネラーでした。

人の深いレベル、その人の魂と話ができる人ですね。

 

先生から

「あなたの人生の目的は、他人の心に遊びや余裕を与えること、

他人を癒すこと」

と言われ、それは自分でとても腑に落ちることでもあったし

自分の願ってきたことは間違ってなかったとうれしかったです。

 

そのセラピーで精神的な解放を何度も経験した私は

真剣に3年ほど学び、自分でも少しずつセッションをはじめました。

でも、うまくいかず。。。

 

先生はチャネラーなので

クライアントが昔体験したことがすべてわかる、見える、

おかあさんのお腹にいた時にどんな感情を味わい

どんなふうに傷ついたか

ということまで全部わかってしまう人でした。

 

ですが、私は普通の人間。

そんなこと、全然わかりません。

もちろん実際のところは

ボディサイコセラピーがチャネラーにしかできないということはないんですが

私のセッションが滞って、どうにもならない時に

先生の一言で一気に解決に至るのを何度も目のあたりにし

当時の私は、自分のワークがダメなんだとしか思えず

常に先生との力の差を思い知らされ、無力感まで感じていました。

 

自分の力の足りなさをひけ目に感じるあまり

無意識に相手のネガティブなエネルギーを

自分にひっぱり込むようなこともしてしまい

自分を追い込んでしまい

自分自身の身体も心も痛めてしまいました。

 



心でなく、身体へアプローチしよう!

 

人を癒すって言いながら、自分を傷つけていたんじゃダメだ。。。

 

ボディサイコセラピーは中断し

現状打開のために気功を始めましたが

あまり得るものもなく

アロマテラピーも勉強しましたが

深い魂のレベルからの解放を求めていた私には

物足りなく思えました。

 

そこで出会ったのがロルフィングでした。

アメリカのアイダ・ロルフという人が考案した整体の一種です。

セッションを受けてみて、気に入った私は

自分が施術する人、つまりロルファーに

なりたいと思うようになりました。

 

心理的にアプローチすることには挫折したけれど

身体的にアプローチすることはできる、

身体を解放することで

心を解放していくことができる!

 

それに

ボディサイコセラピーにはメソッドがなくて挫折したけれど

ロルフィングには理論体系も実技教授法もあり、がんばれば身につけられる!

 

 

けれどもロルファーになるには

当時はアメリカに留学しなければならず

その費用も語学力も

私にはとても手が届きませんでした。

 

その矢先です。

「日本初!ロルフィング講習会開催!しかも京都で!」

の情報が入ったのは!

 

費用は240万円で、それだけのお金を捻出できず

3ユニットすべて終えるのに1年半ほどもかかるので

会社も辞めなければならず

ハードルは私にとってものすごく高かったのですが。。。

 

この機会を逃したら

もう二度とチャンスはない!

この折に、こんな千歳一遇のチャンスが来たっていうことは

天が私にゴーサインを出してくれているのに違いない!

動き出したら何とかなる!

 

そう思って、がむしゃらに飛び込んでしまいました。

 

おりしもリーマンショックが起き

「何とかなる」はずがどうにもならず

資金不足でユニット2までしか終えることができず

借金まで作ってしまいました。

経済的にどん底に落ちました。

 


  その時、自分に誓ったこと。

 

「私の役割は他人を癒すこと、解放することのはず。

だからボディサイコセラピーで

心にアプローチしようとしたけれど

うまくいかなかった。

だったら身体からアプローチしようとしたけれど

もうボロボロ。。。

 

私はもう、金輪際こんなことやめる!

他人を癒そうとか、解放しようなんて

とんでもない勘違いだった!

誰が何といおうと、もうやめる!

これからは自分のことだけ考えて

もっと手堅く生きる!!!!」

 

今でこそ

「自分の役割はこうなんだ!ゆえにそれを果たすためにがんばるんだ!」

なんてがむしゃらになる必要なんてなく

人生とは自然にそういうふうに流れていくようにできていると

わかるのですが

その時はそうとしか考えられなかったのですね。

 



手堅く翻訳会社に就職、
でもやっぱりこの世界へ戻ってきてしまう

 

派遣社員として働いて、借金返済をしながら約3年。

手堅く生きるべく語学を学び続け、その甲斐あって、翻訳会社に就職できました。

 

しかしながら、大得意先が吸収合併されたことにより

会社縮小のため、またしても失業。

 

翻訳会社勤務時代は

経済的にも少し余裕ができ、

また自分で努力して得た技能と知識で仕事ができているという

誇りも感じていました。

一方で、契約文書や取説、薬学関係の硬い文書ばかりの翻訳に関わる仕事は

ストレスフルでもあり、また心の乾きも感じていました。

 

やはり、もともとの

自分は自分らしく生きたい、

また人がそのように生きるサポートをしたい

という思いが断ちがたく

コーチングを学び始めました。

 

何年か前

「もう金輪際、こういう世界に足を踏み入れない!」

と硬く誓ったのはいったい誰だ?って感じですが。。。

やっぱり生まれる前に決めてきた人生の目的は

果たすようにできているんですね。

 

仕事も今までやったことのない

コールセンターでの仕事を始めました。

不特定多数の人達と電話で話すことは

コーチングのスキルアップにも役立つかもしれないと思ったのです。

 



コーチングがしんどくてしかたない・・・

 

コーチングスクールでコーチングを学び

オンラインでセッション練習を繰り返す日々。

 

効果的な質問を投げかけてあげたいと思いますが

なかなか質問が出て来ず

言葉につまり、黙り込んでしまうこともよくあり

それなりに相手に喜んでもらったものの

自分のセッションがそれほど人の役に立っているとも思えませんでした。

第一、自分がコーチングを楽しいとも思えませんでした。

 

でも「こなしたセッションの数は裏切らない」と言われる言葉を信じて

とにかく、がんばってがんばって取り組みました。

スピリチュアルな視点からコーチングをおこなう講座も取り

年に何回か東京へ行って勉強もしました。

 

けれども、コーチングが楽しくもならず

コーチングがうまいとも得意だとも思えず

自分のためにも相手のためにもなっていると思えず

本当に自分は何をやりたいのか

何のためにコーチングをやっているのか

自分はほんとうはどうしたいのか、わからなくなってしまいました。

 

今にして思えば

自分が相手に「できるコーチ」と思われたい、

相手に私の価値を否定されることが怖くて

思ったことが言えなかったのですね。

自分が自己受容、自己肯定できていなかったのですね。

 

結局、自分は他人に認められたいだけではないの?

すごい人、えらい人、やさしい人と、思われたいだけじゃないの?

経済的にも社会的にも弱い立場から

何とか浮かび上がりたいだけじゃないの?

 



そして、レイキに出逢う

 

精神状態も悪くなり

自分で自分を良い状態に引き上げようとする努力も限界で

もうぎりぎりに追い詰められた時に

レイキに出逢ったのです。

 

これが今にして思えば、人生の転機になったのです。

 

私のレイキとの出逢い、驚き体験について

まだの方は、こちらを見てくださいね。

 



理由はないけど、幸せ

 

結局

レイキで得た一番の経験は

「理由は特にないけど、しあわせ」

を体験したこと、そして体験し続けていることなんです。

 

私は大丈夫

これからさらによくなっていく

私はちゃんと守られている・・・

そんな気持ちでした。

安心感を持てるようになり

精神的に安定し

毎日を穏やかに過ごすことができるようになりました。

仕事がうまくいき始めたわけでもなく

何をしたらいのかわかったわけでもなく

お金が入ってきたわけでもなかったにも関わらず、です。

 

今はこんな状態だけれども

必ずうまくいく、

ちゃんと大きなものに導かれている、

すでに私はたくさんのものを持っている

ちゃんと生活できる、私を守ってくれている住居があり、

ごはんもおいしく食べられて

だいたい元気でいられる、

体は私のために日々休みなく尽くしてくれている、

周りにはたくさんの美しい自然があって

私はたくさんの生き物と一緒に生きている

私はとてもたくさんの恵みをもらっているんだわ。。。

 

理由はわからないけれど

不思議に

そう思えるようになったのです。

 

それがレイキの効果なのか

証明することはできませんが

明らかにレイキを実践する中で

変わってきたことは確かです。

 


スピリチュアルな世界に踏み込んだ20歳代のころ

私は「トラウマを解放すれば幸せになれる」

と思っていました。

トラウマが自分が幸せにに生きるのをブロックしている

だからそれを取り除けば幸せになれる・・・

そう思って真剣に取り組んだのです。

そしてそれは一定の成果を生み出しました。

 

随分と幼いころの心の傷を自分で癒すことができました。

けれども

それもやり過ぎると

常に問題を自分の中に探し続け

自分を不十分だと感じてしまうことになります。

 

また「自然にできてしまう能力」を持った先生に教わることになると

どのようにそれを身につければいいのか

メソッドもなく、困惑することになりました。

 

その後はきちんとした方法に従って勉強して

すごい技術を身につけて

理想の自分になれれば幸せになれると思いました。

 

ロルフィングもそうでした。

他では得られない技術を持ち、それで人の役に立って

押しも押されもしない存在になること。

そうすれば幸せになれる、と。

 

それで挫折してしまった後は

自分の得意なことを伸ばして

地道に勉強して実力をつけて

自分に自信をつけて

着実に進めば幸せになれる・・・

それで英語の勉強をして自分なりにかなりの成果を上げることができました。

 

それでも

やはり自分の中から湧いて出てくる

思いは消すことができず

コーチングをすることで得ようとしたもの

それは

「周りから受け入れられる、バリバリ稼いで、尊敬される、

しかも世の中に役立っている素晴らしい私」

でいたら幸せになれる・・・

 

結局のところ

私はずっと、今の自分を不足に感じ

「〇〇になれば自分を認められる

〇〇になれば自分を好きになれる

〇〇になれば幸せになれる」

って、自分の穴を埋めようともがいていたように思います。

成長しよう、向上しようとしながら

自己否定を繰り返してしまっていたんですね。

 



自己肯定できると現実もうまく回り出す

 

自己否定の上には何も打ち立てることはできません。

私はこれでいい

たいした理由はないけれど幸せ

なんだか楽しい。。。

そういう状態になってから

本当にいろんなことが、実際にうまく回り始めました。

 

レイキティーチャーになり

ひょんなところから知り合った人が私のセミナーを受けたいと言ってくれ

その人が他のクライアントさんを紹介してくれて

また東京の方でもセミナーをできるようになりました。

 

たくさんの人とのつながりも生まれて

自分の得意なことを持ち寄り、苦手なところはサポートしあえる仲間も

集まり始めました。

 

 

今、言えることは

自己受容、自己肯定していく精神的ベースを作るのには

レイキが一番シンプルで効果的な方法だということです。

そんなレイキをできるだけたくさんの方に広げていきたいと
思っています。