レイキの歴史



レイキヒーリングは、

大正時代に臼井甕男(うすいみかお)氏により始められました。

 

その後、不思議ないきさつでハワイに渡り

アメリカの医療関係者を中心に

効果がよく知られるようになり

ヨーロッパをはじめ世界各国に広がって

日本に逆輸入されてきたのです。

 

ちょっと不思議なレイキの歴史について

お話します。



創始者 臼井甕男氏について       

 

臼井甕男氏は1865年岐阜県に生まれました。

 

公務員、会社員、新聞記者、政治家秘書等、様々な職業に就きながら

「人生の目的は何か」について探究されました。

 

人は自分の力だけで生きているのではなく

宇宙から役割を与えられて生かされている

 

何が起きても宇宙を信じ、宇宙にすべてをゆだねて

いつも安らかな心を維持しながら

自分の役割を果たすことが人生の目的

 

そういう認識に達し

それを体現する生き方をすべく

京都の寺で3年間坐禅修行に入りましたが

その境地には至れず。

 

死を覚悟して鞍馬山で3週間の断食の末

その境地に達しました。

それと同時に、手当によるヒーリングの力を得たのです。

 



日本国内での広がり           

 

その後、臼井霊気療法学会を開き

治療院も開設されました。

 

臼井氏は効果を宣伝することを好みませんでしたが

関東大震災の折には

臼井氏は弟子と一緒に被災地を回って治療に当たり

この療法は広く知られることになりました。

 

ですが

創始して4年足らずで臼井氏が亡くなったこと

弟子が臼井氏の方針に従って宣伝を控えたことから

日本国内で、活動が大きく広がることはありませんでした。

 

その後、ハワイ在住の高田はわよ氏が

大病を得て日本で加療中

レイキ療法に出会い、病が完治し

ハワイで治療院を開き、

後進のレイキマスター22名を育てました。

 



アメリカから世界各国へ        

 

 

 

高田はわよ氏が亡くなった後

後進のレイキマスター22名が二つの団体を作り

レイキが広まっていくことになりました。

 

日本では、患者の身体に触れながら

病腺である「ヒビキ」という場所を感知し

その「ヒビキ」が解消することで

病が癒えるというやり方だったので

その「ヒビキ」を感知できなければ

レイキ療法は使えませんでした。

 

アメリカで広まった「西洋レイキ」は

体の12の場所に手を当てるだけ、という

誰にでもできるシンプルな方法になっていました。

 

医者、看護師、薬剤師、研究者等を中心に

効果が認められるようになり

また

レイキを使っている人たちの間で

精神的、感情的な効果も報告されるようになりました。

 

1980年代の後半

西洋レイキが日本に紹介されるようになり

気功や癒しブームに乗って

レイキは静かに日本に広がっていったのです。